破釜沈船

レフェリーな話

お久しぶりです!はくです。

実に9ヶ月ぶりのブログ更新。ブロガーとして最低やなと思いながら書いています笑。

ブログが嫌になったわけではないんですが、書いては消して書いては消してを繰り返しているうちに時間だけが過ぎてました。反省。

という訳で、タイトルの「破釜沈船」

辞書ではこんな風に書いてあります。

決死の覚悟で出陣すること。 生きて帰らない決意を示すこと。 出陣のとき、飯を炊く釜かまを打ち壊し、船を沈めて退路を絶つ意から。

これだけでは何の事かとお思いだと思います。

現在、サッカーとフットサルでそれぞれ2級審判員資格を保持していますが、来年度からフットサル一本で活動していきたいと思います。

それに伴い、今年度をもちましてサッカー2級審判員の資格を降りる事にしました。

私の所属している地域協会では例年、夏の終わりから秋にかけて次年度の資格更新のための「更新研修会」というのがあり、受講しないと次年度同じ級で活動することが出来ません。多分他地域の2級審判員も同様だと思います。

私は今回この研修会を受講しなかったため、今年度をもって資格が失効することが決まりました。

更新をしなかった理由はいくつかあるんですが、大きく分けて2つあります。

「サッカー2級審判員としてモチベーションが保てなくなった」

「フットサル審判員として高みを目指す」

が理由です。

「サッカー2級審判員としてモチベーションが保てなくなった」

まずこれが大きな理由の一つです。18歳で2級審判員の資格を取得して以来、自分でいうのも何ですが県のトップレフェリーとして活動してきました。

JFAプレミアリーグやプリンスリーグ、天皇杯県決勝や高校総体県決勝などの試合も何試合も担当させていただきました。

全国大会研修にも参加したり、ミニ国体(地域ブロック国体)、地域の強化審判員として長年研修に参加させていただきました。

全ては自分の県に1級を持ってくるため。

お世話になった皆さんへ恩返しするため。

自分の夢を叶えるため。

そう思いながら、いずれは1級審判員として全国に行けることを夢見て、実際手の届きそうなところまで行くことはできましたが、結果それになることはできませんでした。

その当時は他にもいろんなことが重なり、心が疲れてしまって全てを休んでしまった時期もありました。

しばらくして現場に復帰することはできましたが、何となく、でも確実に空いてしまった気持ちの穴を埋めることはできませんでした。

そんな状況でも、自分の後ろにいた後輩達が懸命に試合を担当し、学んで、成長して県は勿論、地域を代表する審判員に育ってくれました。数多く。素直に嬉しいんです。すごく。

自分も立ち位置やこれからのこと、いろんなことを考えて、それでも後輩のためにしてあげることはあると思いながら活動していました。

その時に出会ったのが今のフットサル審判員でした。

カテゴリーや場所は違ってもチャレンジする気持ちや姿勢は何かしら感じてもらえると思いながら、懸命にやってきたつもりです。

まあですが、現実は「サッカーを捨ててフットサルに走った」レッテルがついただけのような状況というか感想でした。

割当を受けれる身体が2つあればと思うことが何度もありました。

割当がフットサル中心になればなるほど、サッカーの岸からどんどん離れてしまっている気持ちがありました。

加えてこのコロナ禍。試合数自体も極端に減り、自粛期間で出来ない試合は活動再開で詰め込まれた日程で行われるので、ますますサッカーからは離れていく一方。

どうしてもサッカー2級審判員でいるモチベーションが保てなくなっていました。

姿勢を示すことはおろか、活動もままならない状況なら県内で活動するだけなら3級でも十分。そう思いました。

あと、カッコつけるなら衰える前にスパッとやめたいなとも思っていました。縋り付くことなく。

「フットサル審判員として高みを目指す」

数年前にお誘いいただいたフットサルの審判員。最初は本当に軽い気持ちでしたが実際に試合を観てみるとその価値観は大きく変わりました。

パワー、スピード、戦術や息遣い、緊張感は想像していた次元とは大きく違い、一気にのめり込みました。

何より、フットサルに関わる全ての方の気持ちが本気で、真剣で、圧倒されていたように思います。

自分もこの中で頑張りたい。役に立ちたい。

高み頂を目指したい。

両方で上手くやれている方もたくさんいるけれど、自分はそんなに器用じゃない。

そう思ったのが2つ目の、そして今回の行動の根っこになった気持ちです。

9月のあたまにフェイスブックと親しい仲間には事前に報告していましたが、いろんな整理がついたこのタイミングで報告させていただきました。

サッカーが嫌いになったわけでも、審判が嫌になったわけでもありません。

いろんなご意見があるのも十分に理解しています。「辞めんな」と連絡をくださった仲間もたくさんいました。

ありがたいなと思っています。

20代の頃にサッカーで1級を目指していたイケイケな感じはありませんが、それでも自分と携わったことのある皆さまにとって、自分にとって、家族や仲間に対しての一つの決意の示し方だと思っています。

退路を絶つ。

破釜沈船。

審判を志して初めて吹いた地元の中体連の試合も、乱闘のあった県社会人リーグも、天皇杯や総体の決勝も、Jリーグの第四審で入った試合も、各地で担当した全ての試合が鮮明に残っています。

研修会も飲み会も、仲間との思い出も全部。泣いたり喧嘩したり笑ったり怒られたり。価値観や社会で過ごす大事なことは全部ぜんぶサッカー2級審判員で学んだような気がします。

感謝してもしきれない程の気持ちと僅かばかりの2級のプライドをもって残り半年は銀色ワッペンを誇らしげに着けて走り回りたいと思います。

サッカー2級審判員で幸せでした。

本当にありがとうございました。

そして頑張ります!